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ツシマの風景 2

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Ghost of Tsushima ( ゴーストオブツシマ )の風景の続きです。 ゲーム内で絵になる撮影スポットを探すのも楽しかったです。

ツシマの風景 1

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 ツシマの風景と言っても、長崎県対馬の事ではなく、PS4用ゲームソフト、Ghost of Tsushima ( ゴーストオブツシマ )の風景です。 このゲームは、アメリカの開発会社が製作したものですが、日本人以上に日本らしさを表現していると感心しました。実際に起こった歴史的事件、モンゴル帝国の襲来、元寇を題材とした仮想の物語で、境井仁と言う武士が主人公となります。仁は、誉れある武士として正々堂々、戦い、民を守らんとするものの、相手は異国の強敵で、正面からではとても敵わず、打ちのめされてしまいます。そして、強敵を討ち滅ぼし、民を救うには闇討ちなどの卑怯な手段も用いねば、戦えないと悟り、苦悩しながらも闇の暗殺者、冥人(くろうど)としての道を進んで行く事になります。 以上が物語の大雑把な内容ですが、難所を超えての神社訪問、猛者との一騎打ち、名勝での和歌詠唱、名湯での追憶、琵琶法師の語り、なども盛り込まれています。私の体感ですが、序盤は右往左往しながらも、美しいツシマ探索が新鮮で楽しく、中盤になると操作も慣れてきて物語も盛り上がって来ます。後半はさすがにだれてきますが、それでも名作と呼べるゲームでした。私はとにかく、このゲームで再現される、絵画の様なツシマの風景が気に入ったので、記念に載せて行きます。

田辺城

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 田辺城は、京都府舞鶴市にある平城である。この城は、関ヶ原の戦いの際、戦国有数の武人にして文化人でもある、細川藤孝が籠城して、西軍の大軍と戦った城として知られている。 田辺城は、 天正年間(1573年~1592年)末期 、丹後の大名、細川藤孝によって築かれた。西舞鶴の平野部にあるが、北には舞鶴湾、東と西には河川、南側は沼沢地という、天然の要害を成していた。そこへ三重の堀と土塁を廻らせ、本丸などの中枢部には石垣を用いた。天守閣は存在せず、櫓程度の建物があったと推測される。 慶長5年(1600年)6月 、徳川家康は、上杉景勝を討伐すべく、諸大名を率いて会津攻めを開始する。当主の細川忠興はそれに応じて出征、父の藤孝は留守を預かった。しかし、その隙を付いて、石田三成ら西軍が挙兵、関ヶ原の戦いが始まる。そして、西軍方となった丹波、但馬の諸大名、小野木重勝、前田茂勝、織田信包、小出吉政、杉原長房ら1万5千人余が丹後侵攻を開始する。 この時、細川家では、忠興が主力を率いて出征中であり、藤孝と共に田辺城に籠城した者は500人余に過ぎなかった。 同年7月22日 より、西軍の攻撃が始まり、藤孝は防戦に努めたものの、 7月後半 には落城間近となった。しかし、西軍の諸将の中には、当代随一の文化人である藤孝を惜しんで、攻撃に手心を加えたと云われている。また、藤孝の歌道の弟子に当たる、八条宮親王も藤孝を救うべく、 7月27日 、城に使者を遣わして、開城を促した。 だが、武人でもある藤孝は、この申し出を謝絶し、城を枕に討死する覚悟を示す。そして、八条宮親王へ古今伝授の証明状を送り、朝廷には源氏物語沙、二十一代集を献じて、辞世の句も添え置いた。そうと知った八条宮親王とその兄、後陽成天皇は、藤孝と古今伝授の秘伝が失われるのを恐れて、西軍方の前田茂勝を通して、和議を斡旋した。しかし、藤孝はこれも固辞して、城の守りを固めるばかりであった。西軍も朝廷に遠慮したのか、それとも攻めあぐねたのか、城の攻防は小康状態であったようだ。 9月12日 、朝廷は高位の公家である、三条西実条、中野院通勝、鳥丸光広を遣わして、西軍方には囲みを解くよう促し、藤孝には開城するよう説得した。再三に渡る勅命を受けて、ついに藤孝も折れ、開城を決意した。 翌13日 、城を明け渡したものの、西軍方に城は軍事的に使用不可と約させ、自らは前田

宮津・舞鶴散策

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 金引の滝は、京都府宮津市にある滝で、日本滝100選の一つです。高さ40m、幅20mで、穏やかな水流で、滝壺はありません。 ↑金引の滝 ↑金引の滝 右下には小さな虹が出ていました。 ↑獅子崎稲荷神社 この神社の先には、雪舟観望所があります。そこからの風景は、水墨画の大家、雪舟が描いた「天橋立図」と構図が似ている事から、雪舟観望所と呼ばれています。ただし、実際に雪舟がここから描いたかどうかは定かではありません。 ↑天橋立 雪舟観展望所からの眺めです。うむ、いまいちです。結構な石段を登って辿り着きましたが、報われませんでした。 ↑舞鶴港とれとれセンター 京都府舞鶴市にある道の駅で、取れたての日本海の幸が並んでいます。 ↑うにねぎとろ丼 出入口付近の海鮮丼屋で頼みましたが、味も量もいまいちでした。注文してすぐさま出てきたので、作り置きのようでした。鮮魚店が立ち並んでいる所で、気に入った物を幾つか頼んでおけば良かったと後悔しました。 ↑舞鶴赤レンガパーク 旧日本海軍の倉庫で、明治、大正時代にかけて建造されました。現在は、カフェや食事処となっています。 ↑舞鶴赤レンガパーク ↑舞鶴市街 五老スカイタワーからの眺めで、舞鶴市街と舞鶴港が一望出来ます。 ↑舞鶴湾 ↑舞鶴湾 ↑舞鶴湾 自衛隊の艦船と、南極観測船しらせが並んで停泊しています。間近で見学したかったのですが、コロナ過の影響で制限されていたので、無理でした。コロナ過が収まれば、東郷邸、海軍記念館と合わせて艦船見学もしてみたいです。

皇大神社・天岩戸神社

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  皇大神社は、京都府福知山市にある神社です。伊勢神宮の祭神である天照大御神が、一時、祭られていたとの伝承がある事から、元伊勢内宮 皇大神社と呼ばれています。 ↑皇大神社 ↑皇大神社 早朝の訪問だったので、訪問者は私以外におらず、境内はしんと静まり返っていました。 ↑皇大神社 薄い朝霧に杉の大木、古式の社殿と相まって荘厳な雰囲気でした。 ↑皇大神社 さざれ石とは、長い長い年月を経て、小石が集まって出来た岩です。皇大神社から少し離れた所にもう一つ、天岩戸神社があるのでそちらも訪問します。 ↑遥拝所 岩戸山を遥拝する場所です。岩戸山は天岩戸神社の御神体とされています。 ↑天岩戸神社 神社前の渓谷です。 ↑天岩戸神社 小振りな社が一つ鎮座しているのみですが、大きな岸壁がその存在を引き立てています。 ↑天岩戸神社 ↑毛原の棚田 皇大神社から少し北に行った所にあります。 ↑毛原の棚田 のどかな山村です。後で知ったのですが、ここにはどぶろくやブルーベリーなどの特産があるそうです。