首里城

首里城は、沖縄県那覇市にある平山城で、かつて南西諸島に存在していた琉球王国の王都として栄えた城跡である。那覇港を見下ろす丘陵にあって、日本、中国の築城技術を融合させた、独特の建築様式が用いられている。



城の創建年代は定かではなく、14世紀末には存在していたが、1429年に琉球統一を果たした尚 巴志(しょう はし)によって、本格的な築城が始まった。15世紀初期に内郭が築かれて、ここに正殿、北殿、南殿、奉神門などの中心施設が置かれ、16世紀中期に外郭が築かれて、4つの門が設けられた。


首里城は、王とその一族が居住する政治的中心地であり、また、王国の祭祀(さいし)を司る宗教的中心地であり、那覇港を通じて日本、中国、朝鮮、東南アジアとの中継貿易を行う、経済的中心地でもあった。明治12年(1879年)、明治政府によって琉球王国は廃され、首里城も明け渡されて沖縄県が設置された。


昭和20年(1945年)、太平洋戦争時には、首里城地下に壕が掘られて、陸軍第32軍の司令部が置かれた。その影響もあって、米軍の激しい砲爆撃を受けて、地上の建物群は焼失した。


尚、首里城は2020年までに5度、焼失している。


1453年、王位争いである、「志魯(しろ)・布里(ふり)の乱」が起こって焼失。


1660年、焼失。


1709年、焼失。


1945年、太平洋戦争の戦火を受けて焼失。


2019年、焼失。


南国の青空の下、鮮やかな朱色に彩られた正殿は、沖縄の象徴であり、人々の心の拠り所でもあった。その再建が待たれるところである。




↑守礼門




↑歓会門





↑瑞泉門



↑西を望む




↑石垣






↑南殿跡

広場の奥に正殿がありました。なんとも無残な状況です・・・

ここに来る時に乗ったタクシーの運転手によれば、首里城に向かう観光客の数は激減しているとのことで、付近の道路や駐車場も空いていました。首里城の案内役をしておられた、地元の方々も表情に影が差しており、やるせない思いを抱えているようでした。



↑焼失跡




↑那覇市街を望む


↑王陵(たまうどぅん)

琉球王国の歴代王が祭られています。太平洋戦争で破壊されてしまいましたが、昭和52年(1977年)に復元されました。




↑王陵(たまうどぅん)




↑石畳道

首里城から南部へと続く道で、300メートルほど残っています。




↑首里城遠景

この場所から、首里城が燃えている様子がニュースで映し出されていて、なんとも残念な思いがしました。時間はかかるでしょうが、再建は成されるでしょう。しかし、6度目の焼失だけは、何としても避けてもらいたいです。


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