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雌阿寒岳 2

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 雌阿寒岳登山の続きです。 ↑山頂から北西を望む 中央に見える湖は阿寒湖で、その右隣にそびえるのは雄阿寒岳です。ここでしばし、昼休憩を取りました。結構、風が強かったです。帰りは道を変えて、オンネトーコースを選びました。 ↑山頂から南を望む 太平洋が望めるかと目を凝らしましたが、はっきりとは分かりませんでした。 ↑火口北面 右側の切り立っている場所が、山頂付近です。 ↑火口南面 左側にそびえるのは、阿寒富士1476mです。登る事も可能ですが、さすがに疲れが溜まっているので、遠目から見るだけにしました。 ↑火口南面 ここからも噴煙が上がっています。雌阿寒岳を見たところ、3カ所から噴煙が立ち昇っていました。地球は生きているというのを実感します。 ↑南を望む 南は緩やかな山々が広がっています。 ↑オンネトーコース登山口 ここに着いたのは、13時40分です。しかし、野中温泉の駐車場まで、まだ1時間ほど樹林帯を歩いていかねばなりません。オンネトーコースですが、樹林帯が長く、特に見所らしい見所は無かったです。なので、阿寒湖温泉コースをそのまま、引き返しても良かったなと後から思いました。オンネトーは、野中温泉から車でも行けます。 ↑オンネトー この湖を見るのを楽しみにしていましたが、間近で見ると、透明度はさほどでもなかったです。この後、湖の側をしばらく歩き、途中から野中温泉へと向かう樹林帯の道を進んで行きました。 ↑樹林帯の道 傾斜は緩いものの、疲れた体には堪えます・・・また、ヒグマが出て来そうな雰囲気で、気が気でなかったです。 ↑オンネトー 左側が雌阿寒岳で、右側が阿寒富士です。秋になると、この場所から色鮮やかな紅葉に染まった絶景が見られます。雌阿寒岳は見所が多く、本当に楽しい登山となりました。それと、やはり天候は大事です。

雌阿寒岳 1

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 雌阿寒岳は、北海道釧路市阿寒町にある、標高1499mの活火山です。日本百名山の一つで、登山コースは幾つかありますが、今回は最も一般的な阿寒湖温泉コースを選びました。野中温泉に駐車場があって、そこからやや下った所に登山口があります。 ↑登山口 登山開始時刻は、午前9時です。雌阿寒岳ではヒグマの遭遇率は低いようですが、それでも熊鈴は常時しておきましょう。 ↑登山道 最初は急勾配の樹林帯を登って行きます。 ↑山頂を望む 五合目付近から樹林帯を抜けて、視界が広がって来ます。右側の山頂から湧き立っているのは雲では無く、噴煙です。 ↑北を望む 視界一杯に大森林が広がっていました。 ↑西を望む 中央に見えるのは、オンネトーと呼ばれる湖です。 ↑東を望む 登っている途中から、この様な大展望が望めるので、否が応にもテンションが上がって来ます。 ↑山頂を望む 麓は大森林なのに、山頂は荒涼たる風景です。真夏の太陽を遮るものがありませんが、麓から風が吹きあがって来るので、それほど暑くは無かったです。 ↑八合目 山頂まで残り0・6Kmです。 ↑火口 現在でも、音を立てながら噴煙が上がっています。そして、玉子が腐った様な硫黄の臭気も漂って来ます。もし、この場で噴火が起きようものなら、助からないですね・・・ ↑火口のアップ ↑雌阿寒岳山頂(標高1,499m) 登頂時刻は11時20分、約2時間半の登りでした。羅臼岳と比べると、断然、こちらの方が楽でした。そして、展望も広がっていたので、より記憶に残る登山となりました。

オシンコシンの滝・硫黄山・摩周湖

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 オシンコシンの滝は、北海道斜里郡斜里町にある、落差50mの滝です。日本の滝百選に含まれており、駐車場から歩いてすぐの所にあります。 ↑オシンコシンの滝 この日はかなりの暑さでしたが、滝の周囲には冷気が漂っていて、心地良かったです。 ↑オシンコシンの滝 ↑オシンコシンの滝 天然のミストシャワーを浴びれます。オシンコシンの滝を後にすると、硫黄山へと向かいました。 硫黄山は、北海道川上郡弟子屈町にある、標高521mの火山である。アイヌ語では、アトサヌプリ(裸の山)と呼ばれていた。ここでは、明治初期から昭和30年代にかけて、硫黄が採掘されていた。明治10年(1877年)、釧路の網元、佐野孫右衛門によって、採掘が始まった。明治18年(1885年)、北海道の実業家、山田慎(やまだ まこと)によって、硫黄山が買収されると、釧路集治監の囚人が安い労働力として動員されるようになった。しかし、採掘作業は過酷を極め、栄養失調の上、亜硫酸ガスと硫黄粉によって、両目を失明する者が相次いだ。 操業開始以来、半年間で300人の囚人の内、45人が病体となり、42人が死亡した。明治19年(1886年)、硫黄山に外役所が設けられ、より本格的に採掘が行われた。明治20年(1887年)、安田財閥の安田善次郎によって、硫黄山は買収される。明治21年(1888年)、実業家でクリスチャンの原胤昭(はら たねあき)と釧路集治監典獄(監獄の所長)の大井上輝前(おおいのうえ てるちか)は、硫黄山の悲惨な労働を目の当りにして衝撃を受け、直ちに囚人労働を中止させた。明治30年(1897年)、合葬するためにこの地を発掘したところ、300体もの遺骨が出てきた。その中には、手錠を掛けられたままの遺骨もあった。 ↑硫黄山 この距離から玉子が腐った様な、硫黄の臭いが漂って来ます。 ↑硫黄山 この付近では、目も沁みて痛くなって来ます。そして、足元では熱湯がグツグツと噴き出しています。かつての囚人の労働の苦しみが、僅かですが、伝わって来ます。多くの観光客はこの地で悲惨な出来事があった事など、知らずに観光している事でしょう。かく言う私も気付きませんでしたが、外役所の跡地はすぐ側にあるとの事です。 ↑硫黄山 硫黄山の近くには、硫黄山レストハウスがあるので、帰りに温泉卵を味わうのをお勧めします。硫黄山の次は摩周湖へと向かいました。 ↑摩周

知床五湖

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 知床五湖とは、北海道斜里町にある湖です。実際には、小さな沼で水深も浅いですが、雄大な知床連山を背景とした美しい景観で知られています。知床五湖の散策ルートは二つあって、一つは無料かつ、ヒグマ除けのある高架木道、もう一つは有料かつ、事前にレクチャーを受ける必要のある地上遊歩道です。地上遊歩道の方が知床五湖を堪能出来ますが、ヒグマが出没すると閉鎖される恐れがあります。今回は地上遊歩道を散策して来ました。 ↑知床五湖 地上遊歩道は5~1の順で湖を巡って行くのですが、どの湖が何番目であったかは分からなくなったので、単に知床五湖と記して行きます。 ↑散策路 ヒグマが出て来そうな雰囲気ですが、今回は遭遇せずに済みました。 ↑野生の小鹿 ↑知床五湖 知床連山を背景にするには、三、二、一の湖が最も良いでしょう。 ↑知床五湖 右端の山は前日に登った羅臼岳です。 ↑羅臼岳アップ 山頂からは360度の展望が広がりそうです。この日に登りたかった・・・ ↑知床五湖 ↑知床五湖  同じ背景でも、湖によって、やや風景が異なって来るのが趣深いです。 ↑知床五湖 ↑高架木道 ヒグマは入って来れないので、安全です。 ↑オホーツク海 網走方面の陸地が窺えます。 ↑知床五湖 今回、2時間かけて散策して来ましたが、噂に違わず、美しい所でした。ただ、午前11時近くに知床五湖を出たところ、駐車場へ向かう道路が渋滞していたので、開園早々に訪れるのをお勧めします。

羅臼岳 2

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 羅臼岳登山の続きです。 ↑羅臼岳山頂(標高1661m) ようやく、ようやく、辿り着きました・・・到着時刻は11時10分、5時間の登りでした。 ↑山頂 山頂周りは崖なので、少々、怖いです。 ↑山頂から西を望む 山頂は雲に包まれていましたが、時折、西方だけ視界が広がりました。正面の海は、オホーツク海です。 ↑山頂から北を望む 眼下の平原は羅臼平で、奧の山はサシルイ岳です。 晴れ渡っていれば、東側には根室海峡と国後島が見渡せるはずなんですが、この方面は雲に包まれたままでした。 ↑高山植物 名前までは分かりませんが、夏の羅臼岳にはこの様な高山植物がたくさん咲き誇っていました。 ↑高山植物 ↑サシルイ岳 帰りの道のりも長いので、11時50分には下り始めました。 ↑知床連山 麓に付いたのは15時ぐらいだったかと。今回は幸い、ヒグマにも遭わず、無事、下山を果たす事が出来ました。ただ、曇り空だったので、不完全燃焼のまま終わりました。しかし、羅臼岳を再び登る事は、もう無いかもしれません。 ↑知床峠から羅臼岳を望む これは翌日、知床峠から撮った写真です。しかし、この日の山頂は晴れ渡っていて、世の無情を感じます・・・ ↑知床峠から国後島を望む 国後島は、現在、ロシアに不法占領されている日本固有の領土です。いつの日か、必ず取り返さねばなりません。羅臼岳、または知床峠に立ったなら、北方領土を眺めて、日本人としての思いを強くして頂きたいと思います。 ↑民宿の夕食 羅臼岳登山の日は、疲れ切っていたので、予約していた民宿に一直線に戻りました。酋長の家という民宿で2日間、お世話になりましたが、食事は夕食、朝食共に量が多く、味も良かったです。御主人一家の人柄も良く、気持ち良く過ごせました。玉に瑕だったのは、温泉が熱くて、長くは入れなかった事ですね。まあでも、また知床に行く事があれば、お世話になろうと思います。